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アスリート経験を経て、整体師という仕事に生きる。プロ領域を牽引する太田敦士さんが大切にしている想い

今回のKA・RA・DA magは、カラダファクトリー創業20周年を記念して、ファクトリージャパングループ(以下FJG)経営メンバーの一人、整体師を経てサロン営業部門で全体を統括する専務取締役の太田敦士さんにインタビューしました。
太田さんは、宮城県仙台市出身。元プロ野球選手で、2000年に現役引退後、セカンドキャリアは兵庫県、神戸元町・三宮の街でカラダファクトリーの整体師としてスタート。
店長やエリアマネージャー、教育部を経て、サロン営業部の本部長となり、2021年8月にはFJG専務取締役に就任しました。
今回は、太田さんが今までほとんど語ることのなかった、プロ野球時代のこと、天職といえる整体師という仕事に対する想い、カラダファクトリーの理想像について語っていただきました。

野球の夢を追いかけた少年時代、1996年からはオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)でプロ野球人生を経験しました。

宮城県仙台市出身です。
野球は近所の友達がやっていて、小学校3年生からボーイズリーグに入団して始めました。小さい頃から運動全般が得意で、身体も大きく、その頃からピッチャー(投手)でしたね。
高校は、公立の仙台高校。高校2年生の時に県大会でベスト4に入り、それが30数年ぶりという学校でした。高校の私の代では甲子園に行かなかったのですが、1年先輩の代が、宮城県の中から3人プロに入団したんです。そういうこともあり、試合に見に来てくれた人が自分に目をかけてくれたようです。
1996年にドラフト4位で、オリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)に入団しました。最初は2軍で鍛えて、2000年に1軍で2試合に出場しました。

(写真)仙台高校の試合/1996年プロ野球入団時 ©ORIX Buffaloes

(写真)2000年_YB ©ORIX Buffaloes

プロ野球選手時代のアスリート経験と挫折。肘、肩の故障。それでも掴みかけたチャンスを離したくなかった。

入団してちょうど4年目くらいの頃、実は最初少し肘が痛かったんです。
でも1軍に上がった直後だった。その時、ちょっとコツを掴んだ!と思った時でした。
狙ったところにバチーンと投げられる、嬉しかった。休めなかったですね。
2軍で結果が出てきて、すごく調子がいい、このまま1軍に上がり、10年ご飯を食べられるという手ごたえがありました。そして、肘の次に、肩がおかしいと気がつきました。
もちろんプロですから代わりはいくらでもいるわけです。
自分に自信があれば、休むという決断も出来たと思うんですが、その時はとても言えませんでした。どうにもならなくなるまで、我慢しましたね。

最終的には、試合で投げている時に腕が上がらなくなってしまいました。途中で投げられなくなり、選手交代。スポーツ外傷のひとつで筋断裂という診断でした。治療して、半年くらいリハビリをしたのですが、投げられるけど、本音は痛い。
2000年末、入団から5年で引退することになりました。
それまで野球人生が全ての中心。2軍から1軍に上がるときには、このまま10年は現役が出来るだろう、するんだ!というつもりでしたから、引退当時は相当な挫折を感じました。
生まれて初めて、2日間眠れませんでした。
野球一筋、別の何かをやりたいだなんて、考えたこともなかった。
逆に、野球に関してですと「プロの選手になりたい」と言うと、周囲はなれるわけない、という反応でしたが、なれたわけですよね。
それでも、肩・肘の故障は、選手としてしがみつくのが難しい状況というのが現実でした。
いまはルールが変わりましたが、当時はプロアマ規定というものがあり、野球コーチなど選手以外で野球に関わることはあまり考えられなかったですね。

今思い出すと、プロの世界で現役を続けている選手は、当時から体のケアをしっかり考えて実践していました。

(写真)1997年/1999年 ©ORIX Buffaloes

今、その時の自分にかける言葉があるとすれば、「自分に自信がなかったのが原因だ」ということですね。今となって客観的に分かることは、プロも努力の積み重ねで自信を付けているのだということ。
天性のセンスと能力で選手ができる人もごく稀にいますが、圧倒的多数のプロ選手が、能力の上に努力+努力をしています。頭ひとつ抜けるためには人一倍「努力」をして自信を付けている。
当時の自分は、自信がなくて、肘・肩の違和感を言えなかったし、休むという決断が出来なかった。
もっと自分の体のことを分かって適切なケアをしてあげられていたら、あんなに早く故障しなかったかもしれない、とも思います。今思い出すと、現役を続けている選手は、当時から体のケアをしっかり考えて実践していましたね。

アスリートの立場でいうと、パフォーマンスを上げるためには、カラダだけではなく心のコンディションが大切です。

FJGが取り組んでいる「アスリートサポート」ですが、弊社の整体師がスポーツトレーナーとして経験が積めて、選手の方が活躍していただけるのはお互いにとってとてもいいことだと思います。
よくスタッフから聞かれることですが、アスリートだった自分自身の経験をお伝えすると、試合前などは「察して欲しい」と思っていましたね。
試合前の選手というのは、パフォーマンス向上のため、走るフォーム・投げるフォームなど、違和感ないか集中していてスイッチが入っています。そういうときに、余計な話とかアクションというのは入れて欲しくない。しゃべらなくても分かってくれる、そういうトレーナーとの関係性は最高です。
日頃は、相手の話に耳を傾けて聴く力、「傾聴力」をもって充分なコミュニケーションをとり信頼関係を作っていく。さらに大会や試合に向けたスケジュールや時間配分を把握していて、洞察力をもって選手のコンディションや空気を読んでいくようなトレーナーが最高。パフォーマンスを上げていくためには、カラダだけではなく、心のコンディションも大切です。
選手がどれだけモチベーションやコンディションを上げて、持てる力を発揮できるか。身体をほぐすだけじゃダメなんです。充分な信頼関係を構築し、心のつながり、ここぞという時に言わなくても分かってくれる一番近い存在のパートナー(スポーツトレーナー)がいれば、選手にとっては最高の環境だと思います。

カラダファクトリーとの出会いは、
プロ野球時代の知人からの紹介でした

野球選手を引退したあと、数年間は目標が定まらず、いくつかの仕事を経験したこともありました。とはいえ、もともとパーソナルトレーナーになる勉強をしていましたし身体のメンテナンスに関わる仕事に興味がありました。
2005年頃、プロ野球時代の知人から声をかけていただいて、カラダファクトリーの紹介を受けました。当時は西日本にカラダファクトリーはなかったので、神奈川県横浜市に来て、整体師となる研修を受けました。
それから西日本に戻るまでの期間は、カラダファクトリー関内店やセンター南店などで勤務していました。

アスリートの経験があるからこそ出会って気づいた天職。整体師というプロの世界が面白い!と思いました。

私は体力には自信がありましたが、今までとは全く異なる世界ですから、整体の技術を習得するまで最初はつらかったですね。何しろ、研修中、施術のトレーニングで指が痛い(笑)。
施術家であれば当然のことで、誰もが通る道なのですが、研修中も、指の痛さで心がおろそかになるんです。コツを掴んだと思ってもそうじゃない、身振り、型が出来たと思っても、そこは違う…。そういう毎日なんです。習得するまで苦労しましたね。
でも、アスリートの経験があるからこそ身体の機能に興味があるし、整体の世界が面白かった。技術の習得に無我夢中でしたね。

カラダファクトリー神戸元町店で店長となる。お客様の人生に関わり、一緒に夢を叶えるお手伝いをするということ。

整体師という仕事が、新鮮で、楽しかったですね。
自分が身に付けた技術でお客様に施術をさせていただいて、お客様が笑顔になってくれて、感動してくれて、ありがとうと言っていただける。これでお代金を頂けるなんて信じられない、素晴らしい仕事だと、天職だと思いました。
2006年の春、神戸初出店でカラダファクトリー神戸元町店がオープンすることが決まり、店長をさせていただけることになりました。
日々、お客様から色んなお話を伺いました。カラダの不調や治療を受けている中、来ていただける方もいます。お客様のお話を伺って、一緒に考え、工夫して、施術をして、夢が叶う度ひとつひとつ喜びを分かち合いました。
整体師にとして、お客様の人生に関わること、一緒に夢を叶えるお手伝いをするということ、たくさん笑っていただくこと。
「つらさが起きないカラダ」になることが一番なんです。
店長時代は、野球選手時代の写真を店舗に飾ったりしていましたから(当時)、よくお客様でスポーツ選手の方もいらっしゃいましたし、野球などの競技をしているという息子さんを連れた親御さんがお店にいらしたりということはありましたね。そういう時、お店で自分自身の怪我・故障した経験や、トレーニング方法などをアドバイスすることもありました。
新米店長時代は、必死でしたが、濃い時間を過ごさせていただきました。その後の整体師人生の軸となる価値観が身に付きましたね。そういう意味で、ここでお客様に育てていただいたと思っています。

マネジメント面でのターニングポイント。「伝える」ことではなく、「やってみせる」ことの大切さ。

店舗運営にかかわるようになって一番のターニングポイントといえば、「やってみせること」「“伝える”のではなく“伝わる”指導をすること」の大切さを感じたことですね。
それまで一人の施術家として、店長として、エリアマネージャーなどを経験してきましたが、ある時期から、関東で、店舗運営の立て直しを専門に動くことになりました。
毎週のミーティングと毎日の電話確認、日々指導しているつもりなのですがなかなか立て直し、改善が進まない。伝えているつもりでも、現場で実践できていない、結果が変わらないという時期がありました。
それは、もしかしたら私が野球の競技生活で叩き込まれてきた上意下達、いわゆる体育会系の指導方法だったのかもしれません。
初心に帰り、自分も店に入ろうと決意しました。
お客様と接する中で自分なりの「徹底」を見せようと、キャンペーンなどの施策をしっかりスタッフ全員に浸透させること、すべてのお客様にお声かけをすること、ご来店いただくだけで笑顔に、元気になれるような雰囲気づくり、そういう基本に返ろう、背中を見せようと。
実際、そうすると、みるみる内に成果が変わってきたんですね。

とてもシンプルなことですが、「やってみせる」ことの重要性、相手が自分を認めてくれた時にお店全体が変わっていくという過程を見ました。
マネジメントの世界では、教えたつもり、伝えたつもりが、覚えていない、アクションに結びついていないことは本当によくあります。
振り返ってみれば、伝え方も気持ち(マインドの在り方)ばかりで、それも得々と言っていましたから。本来は、具体的にどうすればいいか分かるように教えないと、相手にとって「自分事」にならない。アクションにつながりません。聞かれても答えられないし、もちろん行動は変わりませんよね。
このとき、それでも出来ていたのは、私が着任する前から元々優秀だった部下だけでしたね(笑)。
部下を成長させてあげられなかったのは上司である自分の教え方、やって見せてあげなかったからだということ。何か結果が出ない時は、「矢印」を相手ではなく「自分」に向けること。そこに気づいた経験でした。
立て直しを任されたその旗艦店は、業績が改善し、過去最高の結果を出すことができました。

理想とするカラダファクトリーとは、
「お店に来るだけで元気になる」「先生に会うだけで元気が出る」そんな店

私にとって、カラダファクトリーとは、「お店に来るだけで元気になる」そんな店です。
よく、店長時代にお客様が仰っていた言葉なのですが、
お客様が電車や道路の関係で、遅刻や予約日時変更の電話を下さる時があります。そういう時「分かりました。全然、大丈夫ですよ!お気をつけていらして下さいね」とお伝えすると「ああよかった、お電話して。元気が出ちゃった」「先生とお話できてラッキーだった」と言っていただける。
入口でお出迎えして「〇〇さんこんにちは、お久しぶりです!」と言います。私も、お店に入るとちょっと声が大きくて。いつものお客様にお会いできると嬉しい。お客様も「太田先生お元気ですね!先生にお会いすると元気が出るわね」と仰っていただける。「いえいえ、まだ施術していないですよ」と、冗談で言うのですが。
私が理想にしてきたカラダファクトリーとは、そういうお店なんですね。
施術の技術は当たり前に必要なことです。
でもそれだけではない。「明るく元気になれる」とか、来店しただけで、あるいはお帰りになるとき「笑顔」になれる。
それが、私が昔からイメージしている「カラダファクトリー」です。
整体サロンである以上、お越しいただいたお客様には出来ることを精一杯施術して差し上げて、お帰り際は絶対に笑顔になっていただくという気持ち。整体師の覚悟です。
どんなに店舗数が増えても、「元気になれるお店」であることが変わらないで欲しいし、変わらないように全力で現場に継承していきたいと思います。

スタッフにとってのFJG(ファクトリージャパングループ)とは。ここにいるメンバーが「家族」だと思って欲しい

FJGのクレド(行動指針)である「施術家の心得」に、「社員は皆家族」という言葉があります。
これは昔から脈々と受け継がれ、実践されてきた言葉です。
弊社は人(お客様)に接する仕事ですから、スタッフは人想いであるべきだと思います。スタッフ同士に想いやりがなければ、お客様に尽くすとか、優しく接するなんて無理ですよね。
例えば、立場にこだわらず、スタッフ1人1人がどんな表情をしているかいつも覗き込んでよく見る。元気がなさそうだったら声をかける。悩んでいるスタッフがいれば、夜通しでも話しを聞く。声をかける。電話する。スタッフに良いことがあれば、自分のことのように喜ぶ。
スタッフにとっては、ここが「家族」であると感じてもらえたらいいな、と思って接しています。そういう組織や会社であって欲しいし、今後もそういう後輩が育ってくれることを期待しています。

感謝しているのは、家族。家族の存在があったからこそ、今の私がいます。

これまでを通じて感謝しているのは家族、とくに妻に対してですね。
24歳の時に結婚しました。私がこの仕事を始めたときは、長女が生まれてまだ3か月の時でしたし、家族は神戸にいました。私は単身赴任で関東での生活が長くなるし、関西にいても当時は新大阪の支社での研修や会議で、神戸の家にほどんど帰れない生活が続いていました。
2人の子供の子育ても、ほとんど妻1人で。妻も仕事をしているので本当に大変だったと思いますが、どんな時にも嫌な顔ひとつせずに仕事に送り出してくれました。いくら感謝しても、しきれません。
家族の存在があったからこそ今の私がいます。
今でも、家族の顔をみると安心するし、3匹のトイプードルにも会いたいので(笑)、東京の本社が拠点ですが、週末は出来るだけ神戸の自宅に帰るようにしています。

私は、整体という事業の未来を信じているからこそ様々なチャレンジをします。
スタッフには、信じて付いてきて欲しいです。

「健康と予防に対する意識改革を世界に広げ、社会に貢献する」というのが当社の経営理念です。世界に広げるためには、地域一番店の積み重ねが必要です。
また、整体という業界に風穴をあけて、「トータルヘルスケア企業」としてリードしていきたいと思っています。
スタッフには、プロ意識を持ち、お客様に喜んでいただけるよう現場で力を発揮して欲しい。
また、今も働いてくれているスタッフの生活を守りたいですから、どんどんスキルアップして成長してもらって、活躍の場を与えてあげたい。
まずはそのためにも、多数の店舗出店を加速させていきます。
日本全国には、カラダファクトリーがない都道府県があります。彼らの地元で店舗がないエリアがあれば積極的に「のれん分け制度」*を活用して独立を支援していきたいですね。
これからはコロナ禍も経て、ますます少子高齢化も加速していく時代です。人の手を介さない作業に関しては、デジタルの活用も促します。今の若い方はデジタルネイティブで私よりずっと習得が早いですから。この店舗規模だからこそできるチャレンジは、積極的に行っていきます。
私が、整体師という仕事に惚れこんでいて、整体サロンという事業の未来を信じているからこそ様々なチャレンジをしていく。スタッフには、そこを信じてついてきて欲しいと願っています。

  • 「のれん分け制度」…一定条件を満たした従業員(整体師)を対象として 整体サロン「カラダファクトリー」オーナーとなる独立支援制度。

太田 敦士

株式会社ファクトリージャパングループ 専務取締役
宮城県仙台市出身。
元プロ野球選手(元オリックス・バファローズ/投手)。2000年に現役引退後、2005年よりカラダファクトリー直営店で修業を開始し、セカンドキャリアとして2006年3月カラダファクトリーフランチャイズ加盟企業に入社。アスリート時代のボディメンテナンスや怪我に苦労した経験から、カラダファクトリー神戸元町店で整体師となる。2009年4月、ファクトリージャパングループへ転籍。カラダファクトリー事業部で関西エリアの統括部長を経て、2013年5月人材育成指導室、教育部、2016年7月サロン営業本部エリア事業部長、2018年1月以降、サロン本部本部長兼務執行役員、2019年1月上席執行役員、2019年7月取締役、2021年8月専務取締役に就任(現任)。

写真 / 株式会社トイロデザイン

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